2018年ロシアワールドカップ(ロシアW杯)で日本代表が初戦を戦う相手、
コロンビアの絶対的な存在で背番号10を背負い
2014年のブラジルワールドカップ(W杯ブラジル大会)では得点王にも輝いているハメスロドリゲス選手。
前回のワールドカップ(W杯ブラジル大会)で一番評価が高まったと言われています。
現在バイエルン・ミュンヘンでプレーするコロンビア代表の司令塔でもあるハメスロドリゲス選手は、
今回のロシアW杯でも、甘いマスクと強烈な左足で注目を集めているようです。
そんなハメスロドリゲス選手とは一体どんな人物なのか、気になったので調べてみました。
Contents
コロンビア代表の10番は?
コロンビア代表の背番号10番を背負っているのは甘いマスクと素晴らしい左足をもったハメスロドリゲス選手です。
ハメスロドリゲス選手とは一体どのような選手なのでしょうか?
まずはハメスロドリゲス選手のプロフィールからみてみましょう。
ハメスロドリゲス選手のプロフィール
- 所 属:バイエル・ミュンヘン
- 背番号:11
- ポジション:MF
- 生 年 月 日 :1991年7月12日(26歳)
- 身長/体重:180cm/75kg
- 国 籍:コロンビア
- 本 名:ハメス・ダビド・ロドリゲス・ルビオ
James David Rodríguez Rubio - 愛 称:バンディット、バムバム、エル・ヌエボ・ピベ
- 出 身:ククタ
ハメスロドリゲス選手とはどんな人?
ハメスロドリゲス選手は2014年W杯ブラジル大会でかなり注目を浴びた選手ですが、一体どのような選手なのでしょうか。
ハメスロドリゲス選手が有名になるまでのクラブ変遷や、代表経歴、家族についてみていきましょう。
ハメスロドリゲス選手のクラブ変遷
ハメスロドリゲス選手は14歳でプロデビューしています。
母国コロンビアのエンビガドでプロ選手としての第一歩を踏み出し、エンビガドでは2部降格という苦い経験もしています。
プロデビューから約2年後に、アルゼンチンのバンフィエルドに引っ張られ移籍。
アルゼンチンでは、17歳の時にプリメーラ・ディビシオン(アルゼンチン1部リーグ)のピッチに立ち、同リーグの最年少外国人選手、外国人最年少得点記録を更新しました。
そのハメスロドリゲスに目をつけたのが、ポルトでした。欧州有数の商売上手なクラブであるポルトは2010年夏に移籍金510万ユーロ(約6億円)でハメスを獲得しました。
その後2014年のW杯ブラジル大会でコロンビア代表の10番として活躍し、W杯の大会終了後レアル・マドリードが即座に獲得に動き、移籍金固定額7500万ユーロ(約97億円)をモナコに支払い、ハメスを背番号10番で迎えいれました。
レアル・マドリードでは、イスコ(スペイン代表)、ガレス・ベイル(ウェールズ代表)、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル代表)たちとの激しい競争やラファエル・ベニテス監督、ジネディーヌ・ジダン監督から正当な扱いを受けたとは言い難い状況だったことから、2017年夏に移籍を決意しました。
そして2年のレンタルでバイエルン・ミュンヘンに加入しています。
まとめるとハメスロドリゲスのクラブ変遷は
- エンピガド(コロンビア)2006-2008
- バンフィエルド(アルゼンチン)2008/-2010
- ポルト(ポルトガル)2010-2013
- モナコ(モナコ)2013-2014
- レアル・マドリード(スペイン)2014-
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)2017.7-2年間レンタル
というような状況になっています。
ハメスロドリゲスの代表での経歴
ハメスロドリゲスは、ユース代表として
- 2007年にコロンビアのU-17代表
- 2011年にコロンビアのU-20代表
A代表としては
- 2011年9月29日に初めてA代表に招集
- 2014年にFIFAワールドカップ(ブラジル大会)に出場
ハメスロドリゲスの家族は?
ハメスロドリゲスを育てた家族
ハメスロドリゲス選手は、父・母・妹の四人家族だった。
父親のウィルソンは、ククタ・デポルティーボに所属するプロサッカー選手で元コロンビアユース代表で1986年にソ連で開催されたワールドユースにも出場していた。しかし、ハメスロドリゲスが3歳の時に死別しています。
ハメスロドリゲスの叔父にあたるアルレイ・アントニオ・ロドリゲスもプロサッカー選手で、デジンでDFとしてプレーしていました。しかし、20歳を迎える前に強盗に射殺され、この世を去っています。
父が亡くなった後に母が再婚したフアン・カルロス・レストレポ(元デポルテス・トリマの控え選手)が、ハメスロドリゲスが5歳の時にトリマのアカデミーに連れていったことがきっかけでサッカーを始めています。ハメスロドリゲスは、フアン・カルロス・レストレポのことを「お父さん」と呼んで慕っています。
7歳のときにハメスが入団した少年サッカークラブ「アカデミア・トリメンセ」監督のアルマンド・ジュルブライネル氏は、ハメスロドリゲスの当時の様子をインタビューで語った中でも、ハメスロドリゲスが家族に恵まれていたと語っていました。
「子供っぽかったけど左足のプレーがうまくてね。要領もよく先輩たちとの練習に参加してもすぐに適応できた。ただし、それだけじゃ成功できない。彼の場合は家族の支えと協力があった。ハメス以上に才能のある子はいたけど、酒に溺れたり道を逸れたり若くして事件に巻き込まれたりした。クラブ史上最高のプレイヤーだった子は射殺されている。そんな事例はこの国ではたくさんあるんだよ。だからうちのクラブでは入団時に親との面接を重視する。いくら才能があっても家庭環境が悪いと道を誤る。彼は家族に恵まれた」
そして、今や世界に注目されるような選手になったハメスロドリゲス選手について
子ども時代をみてきたアルマンド監督は、
「ハメスはものすごい負けず嫌いなんだ。プレイステーションで負けただけでも半端なく悔しがる」
とハメスロドリゲスがとても負けず嫌いだと語り、2018年のW杯ではロシアの地でブラジルW杯での悔しさを晴らすだろうと語っていました。
ハメスロドリゲスの結婚と離婚
ハメスロドリゲス選手は、2011年19歳の時にダニエラ・オスピナさんと結婚し、2013年にはサロメちゃんが生まれています。
ダニエラ・オスピナさんは、コロンビア代表のGKダビド・オスピナ選手の妹で元コロンビア代表のバレボール選手です。
しかし、2017年に6年半の結婚生活に終止符をうち離婚しています。
ハメスロドリゲスのプレーの特徴は?
ハメスロドリゲスのポジションはMFだが、中盤の複数のポジションをこなすことができます。
クラブや代表では、プレイメイカーやウイング、センターハーフのポジションで起用されてきていますが、ハメスロドリゲス自身は攻撃的ミッドフィールダーでのプレイが好きだとインタビューで語っていました。
ハメスロドリゲスは左右両足を使いこなすことができます。
2014年のW杯ブラジル大会では準々決勝で敗退したにも関わらず、6得点を記録して大会得点王になっています。
ハメスロドリゲスの左足は、「大砲」と称され、対戦相手を恐怖に慄かせ観る者を虜にすると言われています。
今回の2018年ロシアW杯でも、その「大砲」の左足が炸裂する可能性大ですね!
まとめ
今回は、「【2018ロシアW杯】コロンビアの10番は誰?ハメスロドリゲスとは?」ということで、コロンビア代表のイケメンハメスロドリゲス選手についてみてきました。
2018年のロシアW杯でも、ハメスロドリゲス選手の甘いマスクと華麗なボールさばき、「大砲」と称される鋭いシュートが存分にみられると思うととても楽しみですね!
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